<第18回サライ大賞 サービス・企画部門 受賞>

~高低差に刻まれる花街・祇園の変遷を見る~
【第2弾】明治維新150年記念「京都・祇園編」

祇園エリア

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京都観光はまずはここから、という人も多い京都最大の花街・祇園。

「祇園が紹介されるとき『八坂神社の門前町が発展して...』としばしば言われますが、
実は現代に直接つながる祇園ができたのは明治時代以降。
つまり、できてまだ100年ほどしか経っていない比較的新しい京都ともいえる、モダンシティなんです。」


という、我々の「祇園」の概念を覆す梅林さんの衝撃的な一言から、グラマニア第2弾の街歩きツアーはじまりました。

南座を少し東に行ったあたり。平安時代、四条大橋の北東に祀られた地蔵尊がはじまりとされる小さなお寺・仲源寺へ。
仲源寺の門をくぐる前、梅林さんは鴨川側を振り返り

梅林:「四条大橋と大和大路の交差点を見てください。地面が少し盛り上がっているのわかりますか?
あれは江戸時代前期までの鴨川の堤防の痕跡、あの地点まで河原だったんです。
つまり、今でも南座の位置自体は鴨川の河原の芝居小屋のままということがわかります。」


平安時代、鴨川はあの世とこの世の境界線だったとされていたと言われます。
当時、鴨川から東側の一帯は鳥辺野という葬送地でした。つまり、鴨川は三途の川と考えられていたのです。
そんな鴨川を渡ってすぐの場所で、もしかするとその境界線を守っていたかもしれないお地蔵さんのお堂が、今もなお仲源寺には立っています。
お堂に祀られるお地蔵さんの大きさは京都市内最大級。
また国の重要文化財に指定された木造千手観音坐像も安置されています。

梅林:「さてここでひとつ重要なのは、祇園はあの世の世界観である鴨川より東側にあるということです。
この世ではない街に作られた祇園へのアプローチを見ていきましょう」

梅林:「京都の伝統的な街並みと称される四条通ですが、現在の街並みになったのは明治時代後期から大正時代にかけて。
ではなぜそうなったのか、という理由が現在の四条通に見ることができます。
通りの真ん中が盛り上がって見えません?あの盛り上がりの下にはとあるモノ……
実は、市電の線路がそのまま今もアスファルトの中に埋まってるんです。」


四条通は、明治45年の開通から昭和47年まで市電と呼ばれる路面電車が運行されていました。
市電開通に向け、四条通は当時約8メートルだった道幅を現在の幅まで拡張。
つまり、現在両側に立つ建物は、最も古いものでも市電が開通した明治時代後期に建てられたもの、ということに。
一般的に京都で「伝統的な」という言葉が平安時代や江戸時代を偲ばせる表現だとするならば、四条通は最先端の街並みだったということ。
梅林さんが冒頭で祇園を「モダンシティ」と言った理由のひとつはここに隠されていたのです。

梅林:「さきほどの四条通の変遷でお気付きかもしれませんが、
今の花見小路通の風景は、江戸や明治時代には影も形もありませんでした」


まるでタイムスリップしたような花見小路の独特の雰囲気に、
当然のように幕末の志士たちがお茶屋遊びに興じる様子を想像していた人も多いのではないでしょうか。
市電の整備による道路拡張、大正時代初期の法改正により四条通でのお茶屋営業が禁止など、
京都の近代化とともに形成されたのが、この花街だったというから驚きです。
そして、花見小路通にある有名なお茶屋・一力亭を少し過ぎたあたりで梅林さんが立ち止まります。

梅林:「さぁ、振り返りましょう。ここにひとつの違和感がありませんか?
花見小路通は一力亭の前までは四条通りに直角に繋がり、ここから建仁寺に向けて道が曲がっていますね。
そして、北側に少し地面が隆起しているの、わかりますか?つまり、ここまでは江戸時代に存在していた道。
そしてここから南側はすべて明治以降に街を作った際に付け足された道、ということなんです。
ちなみに江戸時代までここは建仁寺の境内でした。歴史の違いが、道路の屈曲と高低差に現れています」

祇園が花街として発展した背景には「街は誰のものか」というテーマについて考えることが重要だと言う梅林さんが
次に訪ねたのは、祇園甲部歌舞練場。
祇園甲部の芸妓・舞妓の舞踊公演の場で、毎年4月に開催される『都をどり』の会場として1873年の第2回より使用されており、
唐破風の堂々たる本館、城郭の天守を思わせる弥栄会館など建築物としても大変価値のあるものです。
この歌舞練場に付属するように看板が掲げられているのが”学校法人 八坂女紅場学園”で、一般の学校ではなく、
芸妓さん・舞妓さんが舞台やお座敷で披露する舞や唄、三味線その他の音曲などの芸を学ぶ鍛錬の場としての学校です。

梅林:「実は祇園という街の多くの土地が“八坂女紅場”という法人の所有地です。
町並み保存のために厳しい意匠基準などを設け祇園町南側は市街地で最も基準が厳しいと言われています。
だからこそ、この町並みが守られてきた、と言えるでしょう。」

花見小路通から一本奥の通りに入るとふだんなら気にも留めない壁の前で梅林さんが足を止めます。

梅林:「ここは道路の左側が祇園、右側が東山ですね。この右側の段差が桃山断層です。
京都はふつうの街中に断層があって、断層崖の上に家がのっかったりしてるのが不思議なんですけどね(笑)。
つまり地形的には京都盆地はここまでですから、祇園は京都のヘリにあったということがわかります。」


確かに通り沿いに90cmほどの石垣になった段差が続き、東大路から八坂神社に向かう道の途中に急な坂道が現れます。

梅林:「この傾斜こそまさに断層崖ですね。断層を辿ると八坂神社に繋がるんです。
ちなみに桃山断層ができたのはそんな古くなくてそうですね……数十年万年前くらい。
あ、断層業界では数十万年前は“わりと最近”なんです(笑)。」


断層業界ってなんですか、梅林さん(笑)。

梅林さんは八坂神社を「天然の神棚」と呼んでいるそうです。
自然が作った断層崖の上に鎮座する八坂神社は四条通から正面に望んで歩いてくると、おのずと見上げる場所にあるからです。
また、西楼門の階段を上がって四条通を見下ろすと、四条通と東大路通との交差点がとても広いことに気が付きます。

梅林:「この景色こそ、明治京都の近代化のひとつの集大成ともいえるでしょう。
市電が走ることによって道幅が広がり、偶然にも広場的な空間・交差点が現れました。
何が素晴らしいって、広場的空間ができたことに合わせて、八坂神社の西楼門を通りの中心にわざわざ位置をずらしたっていうことでしょう。
そのことにより“京都らしい風景”が完成したわけです。
社会、人、そして断層崖という自然が、それぞれの関係性を引張り合い作用しながらできあがったのがきっと、
“祇園”という街ではないのだろうかと思います。」


まさか祇園の街が“京都近代化の象徴”だったなんて。
想像もしていなかった事実の連続はまさに目から鱗の連続です。
祇園に潜む土地の記憶を紐解くと、モダンな京都が浮かび上がってきました。
「え!」「えーーー!」「うそーーー!」と思わず声に出てしまうような意外な祇園エピソードは、京都通も唸らすおもしろさ。
ぜひ生で体験してみてください。

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このツアーをガイドしてくれるのは、

京都高低差崖会崖長 梅林 秀行

京都高低差崖会崖長。NHKテレビ番組「ブラタモリ」準レギュラー。最新出演は2018年4月放送「京都・銀閣寺編」および「京都・東山編」。著書に『京都の凸凹を歩く』1&2巻(青幻舎)。「まちが居場所に」をモットーに、まちの日常と物語から生まれたメッセージを大切にしている。趣味は銭湯へ通うこと、おいしいくるみパンを探すこと。

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