【第1弾】 岡崎編 ~明治の一大国家プロジェクトとは?!~
岡崎エリア
第18回サライ大賞 サービス・企画部門 受賞
「その中心地になったのが、実は岡崎なんです。」
歩きながら町に残る歴史の痕跡を見つけ、梅林さん独自の視点や解釈で紐解いていきます。
① 平安神宮 ~京都博覧会のメインパビリオン~
京都三大祭のひとつ・時代祭が行われることでも知られ、年始には多くの初詣客が訪れる人気スポットです。
京都の人でなくとも知っているであろう有名な神社を前に
- 梅林
- 「平安神宮は、実は神社として建てられたものではないってご存知でしたか?」
- 梅林
- 「1895年(明治28) 年に、『平安遷都1100年紀念祭』が京都で行われる際、同時に『第4回内国勧業博覧会』という今でいう『万博』が行われました。
その会場として選ばれたのが、それまで田んぼだった岡崎エリアです。
その際に『パビリオン』として、平安京の正庁・朝堂院を5/8に模したのが、今の平安神宮です。
まさか100年前は初詣スポットになるなんて思わなかったでしょうね。」
建物自体は平安時代を模しつつも、ヨーロッパの近代建築のプランがそのまま採用されている……。
つまり、平安神宮は近代の目を通してみた古代の想像で、当時はこの建物こそが、「近代」を象徴するものだったのかもしれません。
② 無鄰菴 ~日本庭園に起きた革命~
- 梅林
- 「山縣有朋の別荘である無鄰菴は、日本庭園に革命を起こしました。
それまでの『池を海』に、『岩を島』に見立てた象徴主義的な作庭から、里山の風景や小川そのもののような躍動的な流れをもつ自然主義的な庭園観により造営されています。」
東山の借景を軸にして、上手に高低差を利用。
日本庭園のモチーフを「池」から「川」に変えたことで、見え方が「面」から「線」に変化。
- 梅林
- 「無鄰菴の庭石の配置は、京都のベストトライアングルです。
あと、水の流れをうまく利用して視線の広がりを生むなど、狭さを感じさせないテクニックが随所になされています。」
あと、「苔」ではなく「芝」を配したのも、無鄰菴の大きな特徴なのだそう。
- 梅林
- 「無鄰菴を流れる水は、琵琶湖疎水。疎水の水は本来工業用で、引込むのに、山縣有朋は相当無茶なことをしたはずです。」
さて、この日の梅林さんのお気に入りビューポイントは、庭に面する建物の中でした。
- 梅林
- 「無鄰菴はいつ来ても表情が違うので、その日のベストポイントを見つけるのも、楽しみ方のひとつではないでしょうか。」
③ 琵琶湖疎水 〜京都の近代化を支えた水の路~
この日、最後に訪れたのは南禅寺の境内にある水路閣や蹴上インクラインをはじめとした琵琶湖疎水にまつわる場所でした。
琶湖疎水とは、1885(明治18)年に着工し、なんと京都府の年間総予算の約2倍という巨額の費用と約5年にわたる長い歳月を費やして造られた水路のこと。
当時の土木建設の常識を大きく超えるこのプロジェクトの背景には、明治維新による事実上の首都移転で活気をなくしつつあった京都を復興させるという、大きな目的がありました。
- 梅林
- 「琵琶湖疎水は一粒で何度も美味しい事業でした。
水運、上水道、灌漑用に加え、事業用水力発電が可能になったことで京都には日本初の路面電車が走り、工場が稼働して工業も発展、一気に近代都市に生まれ変わりました。
まさに京都をダイナミックに変えた、明治の一大国家プロジェクトと言っても過言ではないと思います。」
ちなみに、水路閣は今もなお現役で使われており、橋の上に立つと毎秒約2トンの水が流れている様子を見る事ができます。
加えて、「とある不思議なこと」が起きているので、ツアー中に見つけてみてください。
- 梅林
- 「京都の近代化は、岡崎からはじまったと言っても言い過ぎではないでしょう。
最近、街歩きをしていて気付いたんですが、『近代』はその町の真ん中ではなく縁辺部からできていくんです。
新しい仕組みは、町の外側から作られていく。
きっと、岡崎の町も、明治の京都人が平安京から1100年目に築き上げた理想のカタチだったため、他の京都にはない町並みになった。
そして今もなお、伝統と革新の文化活動が一体となり、人工と自然とが融合する独自の地域を作り出しているんだと思います。
ぜひそんな視点を持って、岡崎の町を歩いてみてください。」
このツアーガイドをしてくれるのは
京都高低差崖会崖長
梅林 秀行
京都高低差崖会崖長。NHKテレビ番組「ブラタモリ」準レギュラー。著書に『京都の凸凹を歩く』1&2巻(青幻舎)。「まちが居場所に」をモットーに、まちの日常と物語から生まれたメッセージを大切にしている。趣味は銭湯へ通うこと、おいしいくるみパンを探すこと。